能 道成寺(杉浦豊彦)

開演時間を30分間違っていたせいで、「卒都婆小町」、狂言「二千石」、舞囃子「三山」は止めにして、平安神宮(紅枝垂桜満開)やフィレンツェ展を巡り歩いてから、もう一度京都観世会館に戻って「道成寺」だけ観ることに。

鐘の綱がなかなか金具に通らず、舞台開始までずいぶん待たされた。囃子方地謡も、それからシテ方の鐘後見も、もちろんみんな裃で登場してお澄まししている中で、緑の裃(長袴)を身に着けた狂言の鐘後見4人が竹の棒でエッチラオッチラ鐘を運んで来て、その内2人(茂山逸平、網谷正美)がきれいな所作事のように、座ったままで2本の棒を使って綱を金具に通そうとするのだけれど、綱の先っぽが柔らかくなってしまっているせいか、何度も失敗して客席もザワザワし始め、「このやり方で通らなかったら、ハシゴか何か出すのだろうか?」と、ちょっと意地悪にそういう展開を期待してしまった。

通常の能よりもスローテンポに重々しく始まり、アイ(茂山正邦)が朗々と女人禁制の旨を触れながら舞台一周し笛前に着座するところも、いかにも厳格な「儀式」のようで、シテ登場への期待感を高める。が、現われたシテには、姿や動きが何だかこじんまりして見え、「美声を誇る」ような謡はあまり好みではなく、当初、不安な気持ちがよぎった。

乱拍子前、地謡が咳き込むかのように謡いこみ、その激しさで勢いをつけられたかのように、突如、あの静かで張りつめた乱拍子に展開して、観客もそれまで舞台で繰り広げられていた物語とは異質の時空間にいきなり放り込まれる感覚を味わう。静寂の中で、鼓の気合とシテの弾かれるような動きを固唾を呑んで待ち続ける、心臓の鼓動が聞こえるような緊張は、乱拍子の時間だけが提供してくれるものだと、10年以上ぶりの道成寺に素直に嬉しくなって、そのころから、シテに対する違和感も薄れた。

(乱拍子の途中で、なんと、携帯をならした人がいたり…、舞台の外から子供の声が響いたり…、後ろの席のオバサマがずっと口中でニチャニチャ音を鳴らし続けて耳に障ったり…と、何度も現実世界に引き戻されさえしなかったら、もっともっと楽しめたはず。)

鐘があがると、シテが小さくなって白い着物の下にすっぽり隠れていたのには驚いた。小書?(小書については、『観世』平成17年2月号と3月号で、横道萬里雄氏の連載「能演出の広がり」が、ちょうど道成寺の小書について取り上げているらしいので、要チェック。)

■杉浦友雪二十七回忌追善能、第二十五回 杉浦講演会 春の公演
道成寺(小書=赤頭、中之段数[足間]※なかのだんかずびょうし、無[足間]之崩※ひょうしなしのくずし、五段之舞)」
シテ:杉浦 豊彦
ワキ:福王 和幸
アイ:茂山 正邦
小鼓:林 光寿
大鼓:河村 大
笛 :杉 市和
小鼓:井上 敬介
地謡:片山 慶次郎 他